さわってください: さわるための彫刻シリーズ

 

  どこの美術館でも、博物館でも見られる展示品、といえば、「さわらないでください」という掲示でしょう。もちろん、作品の保護を考えたばあい、これは極々当たり前のお願いです。しかし、別の角度から考えれば、これは、視覚障害者をこれらの展示空間から阻害することに他ならないことにも気づきます。このような「視覚中心主義 (visionism)」は別に展示空間のみではなく、社会のあちらこちらに見うけることができます。

確かに、ほかの感覚では視覚と取って代わることができません。しかし、視覚は、同じように、たとえば、味覚に取って代わることもできません。つまり、すべての感覚は同じように大切なものであるはずで、どの感覚の方がどの感覚よりも大切であり、優れたものだとはいえないはずです。こういった意味において、視覚中心主義とはその根拠をいわれのない「視覚重視」に持っていることがわかります。

 この視覚中心主義をイギリスの全盲の哲学者、マーティン・ミリガンは、ブライアン・マギーとの交換書簡の中で激しく非難をしました。特に視覚を重視することがいけないのではなく、視覚を重視するあまり、視覚を持たない人をある空間から阻害をするようなことがおきた場合、これは、人種差別や性差別と同じ差別だからだ、と彼は論じます。

 ミリガンは、視覚障害者をも考慮に入れた社会空間の創造を促します。これは、視覚障害者を「保護」する必要があるからではありません。このような視覚障害者をもその中に受け入れることができる社会空間の中で、両者がお互いをよりよく理解し、より差別の少ない社会に向かって進んでいくことができるからです。

 私は、このミリガンの考え方に深く感銘を受け、触発され、この「さわるための彫刻」シリーズを作りはじめました。

 そして、展覧会の空間を通じてさまざまな人が作品に触れていく中で、私は「さわる」ということによって、もう一つの重要な変化が空間にもたらされることに気がつきました。

「さわらないでください」という表示は確かに、作品を保護することを目的ととしています。しかしこの時、見落とされがちですが、もう一つの重要な働きをしています。それは、作品と鑑賞者の間に距離を置く、ということです。この距離は実際の長さにすると30センチ、せいぜい1メートルくらいかもしれませんが、しかし、無視することができない距離です。なぜならば、この距離によって、作品やその作家が鑑賞者と隔てられるからです。

この「隔て」は作家やその作品を「彼岸」に押しやります。この事によって、作家やその作品に対してある種の「神格化」が行われます。芸術は高い位置(high ground)に立つものとなり、鑑賞者は芸術を謹んで承る立場におかれます。このようにして、芸術空間は芸術に対する宗教的崇拝の場に変質を遂げます。そして、そこにおいては生真面目さが要求されるようになります。さらに、その生真面目さによって、芸術は高度な文化(high culture)であり、大衆文化(low culture)とは違う、というエリート意識を生み出すのです。

この神格化は、本来であれば対話を前提とするはずの芸術(この点については「私が見える?」の項を参照してください)にとって堕落にほかならないのではないでしょうか。

しかし、作品にふれることによって、この隔てがなくなると、実は芸術は同じ場(ground)に属するものであり、対話をする対象となり、生真面目にそこからのメッセージを受け取るのではなく、楽しむものとしての復権がなされるのではないでしょうか。この、神話の否定によって、生真面目な場から阻害されていた子供たちも芸術空間に入ってくることができるのではないでしょうか。

また、さらに、さわらせる、ということは作品が傷つくことの容認でもあります。これは、作品を商品(commodity)として考えた場合、あってはならないことです。ここで、触らせることを決意したとき、「商品」が作品にとっての一番大事な要素であることを作家は放棄することになります(もちろん、「商品」としての要素は残りづつけるわけで、この要素の完全な否定ではありません)。現実問題として、作品を売らなければ生活ができないわけですから「作品は商品でない」ということは大きな自己矛盾を含んだ表現です。しかし、コミュニティーアートなど商品ではない芸術活動が盛んで、それを支援する芸術財団が確立されている英国においては、芸術のこのような商品化からの解放も決して夢ではない、と思います(私も、このプロジェクトをするにあたってウエスト・ミッドランズ芸術財団から援助を受けました)。

 

「さわる」という行為は単純かもしれませんが、フェミニズムやポスト構造主義が社会科学の根本を揺さ振ったように、私の芸術空間の根本を揺さ振る新しい局面を提供してくれたのです。

 

 

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